昼間は騒がしく過ぎたが…その後はいつもと変わらぬ時が流れた。

夕飯を食べ、亥二つの刻の頃には全員寝床に入る…のだが、今夜はなかなか寝付けぬ様で布団に入ってわいわいと話している声が聞こえる。
皆、何かを感じとって明日が来るのを惜しんでいるのだろう。律も同じく。

律はいつも通りに寝床部屋から少し離れた庭先で稽古していた。
毎晩欠かさず、太い松木の幹に蓙を巻きそれを相手に切り込む練習をしている。
が、いつもと変わった事がひとつ…庭に面した廊下に隼人が座っている。

眠そうな目を擦り、律の稽古を見ていた。

「本当…稽古熱心だよなぁ〜律はさ」

ふぁ、と欠伸をしながら隼人が律に話しかけた。

「眠いならさっさと寝ろ。気が散って集中できねーだろ」


いつもは隼人や仲間達が寝静まった後、律はひとりで稽古している。
だから、じっと見られていると気になって仕方がない。

「…それに、早く寝ないと早朝の稽古の為に起きれねーんじゃねぇの?」

「あ…なんだ、知ってたのか律。お前は朝に弱いから、バレてないと思ったのに」

律は随分前から知っていた。隼人が皆寝静まっている早朝にひとりで稽古をしている事を。
この松の幹に巻き付けた蓙の傷み具合が早いのは…律自身の稽古だけではないのはすぐ分かった。
律も隼人も強くなりたい想いは同じだ。誰にも譲れない想いが−


「まぁ、律も強くなってるんだからオレも負けられないしな」

いつもの笑顔で微笑みながら隼人は、月明かりでより一層輝いている星空を眺めていた。

風が吹き、隼人の髪がさらさらと靡く。
二人の間を優しく吹き抜ける夜風はまだ肌寒いが、何故かとても心地良かった。

「―…」

風を感じながら律は、深く息を吐いた。妙な胸騒ぎがどうしても気になって落ち着かない。明日が怖い。
そんな様子を感じ取ったのか隼人が口を開いた。

「はいはい。一旦休憩!ほら…」

と隼人は自分の隣をとんとん叩いた。そこに座れと言っているのだろう。仕方がないから律は隼人の隣に腰掛けた。

夜風で冷えた廊下は冷たい。
二人で夜空を見つめながら、少しの沈黙が流れた。植木たちが風に吹かれさわさわと囁くように揺れている。

「真田家の後継ぎって、オレ達の中から一人しか選ばれないんだよな」

先に沈黙を割ったのは、隼人の真剣な声だった。

「あぁ、俺達の中で最強の者を選ぶんだ」

最初にこの家に買い集められて、右も左も分からない状態で聞かされた言葉だ。

「もしオレが選ばれたら…律を小姓として傍に置いてやるから安心してイイよ」

少し重たい空気を払うかのように、隼人は明るく笑った。

「はぁ!?おまっ…何が小姓だ!んじゃあ、俺が選ばれたらお前を下僕として働かせてやる」

全く、ムカつく奴だ。
隼人も律もそろそろ後継ぎが決まりそうな雰囲気を薄々感じていた。後継ぎは一人。それ以外は後継ぎになれない。
だからこんな話をし出したのだろう。

「下僕かぁ、キツイなそれは〜」

と嬉しそうに話している隼人を横目に律は短いため息を一つ漏らし、

そろそろ稽古を再開しようと立ち上がり隼人に背を向けて歩き出した。

「なぁ、律。オレ達がライバルだていう証として、何かお互いの物を交換しようよ」

律は背中へ降ってきた隼人の不思議な提案に振り返った瞬間、目の前から何かが飛んで来た。
それをすかさず掴んで見てみると…ずしりと重い金属の首当てが手の中にあった。

「オレの剣術の師匠から貰った首当てだ」

刀では切れなそうな硬い金属ががっちりとはめ込まれ、両端には黒紫の絹で編まれた長めの紐がついている。

「敵に首を取られる事が武士にとって一番の恥だろ?
首を取られるくらいなら切腹して武士の誇りを守るって事だけどさ…ようは首を取られなきゃイイだけの話し。これがあれば怖いもんなしだ!」

そう胸を張って隼人は笑っている。

「でも…こんな大事な物、俺にやってイイのかよ」

師匠に貰ったとか言っていたが、人様にくれて大丈夫なのだろか。

「大丈夫、大丈夫!だってオレ強いから首取られないし。
それより勝負の時に目の前の敵に集中するあまり周りを警戒し忘れる律が心配だからさぁ。後ろから首取られるかもよ〜」

律の欠点を適確に解説しながら、隼人は律をぽんぽん叩いた。

「フン、んじゃあ有り難く貰ってやる。後から首当てがあったらなぁ〜って後悔しても知らねーぞ!」

律は皮肉を込めて隼人に言い放ってやった。
いつもムカつかせる事ばかり言う奴だが、本音で言い合えるから…律は隼人の傍にいつもいる。
そう考えながら、律は貰った首当てを早速付けてみた。
金属が肌に当たりひんやり冷たいが、これなら本当に刀で切られても問題なさそうだ。

「うん、イイね。似合ってる」

「当然だろ」

首当てがしっくり首に馴染んで来たのを確認しながら、律は隼人に渡す物を探した。
そして着物の懐から綺麗な紫色の紐を取り出した。

「お前がくれた様な良い物じゃないが…」

「うわぁ、凄い綺麗な色の髪留めだな」


律が渡した髪留めを隼人は月明かりにかざしている。

「紫苑蚕(しおんかいこ)っていう珍しい蚕から採れた絹を何重にも編み込んだ髪留めだそうだ。この紫苑の色は何年経っても色褪せないらしい」

病気がちな母が元気な頃養蚕場で働いていて、余った絹を長年集めて作った物だった。

律が真田家に買われた時に渡してくれた。

「こんな珍しい髪留め、オレ貰っちゃっていいのか?大切な物なんじゃ…」

心配そうに律を見る隼人に


「俺なんかよりお前の方が似合うだろ」

と律は笑った。
まぁね。と微笑み、隼人は子供の様にはしゃぎながら一つに結ってある髪に紫苑の紐を付けた。
…が、なかなか思い通りに結べずにいる。

「貸してみろ」

そんな様子を見かねた律は、隼人の髪を結んでやった。
月明かりに照らされて、隼人の紅柄色の髪と紫苑絹の紐がキラキラと鮮やかにいつも以上に美しく見えた。

「えへへ、ありがとな律…これで大人になってもお互いがライバルだったって事が一目で分かる」

嬉しそうに話す隼人の表情には、どこか哀しそうな雰囲気が漂っていた。

「さぁて…明日も朝早く起きなきゃいけないからそろそろ寝るか〜律の邪魔するのも飽きたしな」

「邪魔しに来たのかお前は!」

相変わらずつまらない事ばかりする隼人に呆れてしまう。
欠伸と背伸びをしながら隼人は廊下へ向かって行った。その隼人の後ろ姿を見つめていた律は焦った。
隼人に伝えたい事がある。だけど今までちゃんと伝える自信がなくて言えなかった事が−…
でも、今日、今夜、今、伝えないと…もう言えない気がした。言わないと自分自身が後悔する。

そんな焦る想いが咄嗟に律の体を動かした。

「隼人、待てっ…」

言葉が出たのと同時に、隼人の手首を掴み引き止めた。急に掴まれたからか振り返った隼人は少し驚いていた。

「どうしたんだ、律?」

「ずっと言いたくても言えなかった…」

律はまっすぐ隼人の目を見つめた。



「今までありがとう」



やっと言えた。
隼人を掴んでいる手が微かに震えている事は自分でも分かった。多分、隼人も気付いているだろう。
隼人を前にすると、素直に感謝の気持ちを伝えられなかったから…言えて良かった。

「隼人に出会えたお陰で今の俺がいる…」

律がここまで強くなれたのは、隼人がいたから。

「…なにかと思えば、律からそんな言葉を聞けるとはなぁ」

と、驚いたあと少し照れるようにくすりと隼人は笑った。

「オレの方こそ、律と一緒にいれて楽しかったよ。…って、そんな真剣な言葉聞くと…もう二度と会えない様な感じだな」

隼人は律を見つめて感謝の気持ちを述べた後、くるりと向きを変え俯きながら呟いた。
律も隼人も、明日が来たら…もう会えなくなるかもしれないと感じていた。
でも何が起きても、お互い良きライバルであり…大切な友達。たった今交換した首当てと紫苑の紐がなによりな証拠だ。

「会えなくなっても、コレがあるから大丈夫なんだろ?」

律は隼人に貰った首当てをコツンと叩いた。
離れ離れになってもお互いの目印がある。だから大丈夫。律は、そんな風に無理にでも明るく考えたかった。

「そう…だな」

背を向けたまま一言話し、少し間を置き

「…んじゃあ、おやすみ律。早く寝ろよー」

と軽く手を振る隼人は、律の方を振り返らずに戻って行った。
多分…振り返えらなかったのは、顔をみたら哀しさを抑え切れずに泣いてしまいそうだったからだろう。

律はただ独り、夜空の下に立ち…目を閉じた。
さわさわ…さわさわ…と葉の擦れ合う優しい音に包まれながら。



///<<<back

朱の絆−伍−